「なんだってっ!?」
春香が事務所を飛び出してから程なくしてプロデューサーが到着してすぐ、律子から事情を聞いて驚いた。
「ごめんなさい、プロデューサー。なんか余計な事言ってしまったみたいで…まさか春香が…」
「まあ、過ぎた事は仕方が無いさ。律子が悪いって訳でも無いし、俺がちゃんとそう言う事も伝えておけば良かったんだけど…」
そう言いながらプロデューサーは手帳を取り出しパラパラ捲りだした。
「幸い、スケジュールは大丈夫そうだな。新曲を出すに当たってレッスン詰めになってるけど…
長くても1週間以上は待ってられないな…」
「じゃあ、私も探します!こうなったのも私が原因で…」
「だめだ!」
不意に大きな声を上げられて律子はビクッと体を震わせた。
「すまん…でもダメだ。律子にも仕事があるしこれは俺が解決したい。春香の事は俺に任せて欲しい。」
「…わかりました」
「ありがとう、恩にきるよ。じゃあちょっと行ってくるな」
「春香の事、お願いしますね!」
「任せておけ!」
そう言うとプロデューサーも足早に事務所を後にした。
「出てはみたものの、何処を探せばいいのやら。春香…何処に居るんだ」
とりあえず昨日行ってみた場所を見て回ろうとプロデューサーは歩き出した。
一頻りベンチで泣いていた春香は少し落ち着いてきたのか小さくシャックリはしているものの涙は止まっていた。
「のど…渇いたな」
バッグから財布を取り出して自動販売機に向かってトボトボと歩き出した。
小銭を入れて迷わずリンゴジュースを押しそうになったが思わず指を止めた。
「…よし」
覚悟を決めてあえて微糖のコーヒーを選んだ。
ガコンと如何にも苦そうな缶が転がり落ちてきた。
缶コーヒーを手に取りさっきのベンチに再び腰掛け一口啜った。
「にが…」
コーヒーを飲める様になったからと言って大人に近づくとは自分でも思ってはいなかったがどうしてもそうしたい衝動に駆られた。
俯きながらちびちびの缶コーヒーを口に運んでいた春香の隣に誰かが不意に腰掛けた。
足を見る限り女の子であるとと小さく音楽が聴こえてきた事から何かで音楽を再生しているのだけは
俯きながらでも確認できたので春香は少し安心した。
気にも留めずに苦いコーヒーをたまに口に運んでいた春香だったが隣の人のイヤホンから漏れる曲に手を止めた。
(この声…あずささんの?)
イヤホンからは微かにあずさの得意な曲である9:02pmが流れていた。
耳を澄まして聞いていると隣の人が小さな装置を取り出したかと思うと少しボリュームが上がり
さっきよりも良く聴こえるようになった。
(この人、この曲が好きなのかな?)
逢いたい…メールも携帯も鳴らない
tears 泣いてるよ
一秒だけでもいい 君を今 感じたら
「…好き」
(…あっ)
台詞部分を聞いた時、春香の中で今まで気付かなかった感情が芽を吹き出した。
(好き…)
気付いた瞬間、急に胸が締め付けられる思いがした。
鼓動も早くなっている事が胸を押さえた手からも伝わってくる。
そんな事とは露知らず隣に座っていた人はすっくと立ち上がった。
(あ…行っちゃうの…かな。もう一度ききたかったな)
そう思っていると女性は自動販売機に向かって歩き出し何かを買うとまた戻ってきた。
もう曲を聴いていないのかイヤホンは耳から外されていた。
隣の人の飲み物が喉を通る音が微かに聞こえてきた。
「ふぅ…」
喉の渇きを潤すと女性は小さく喉を慣らした。
「Goodnight ひとーりーきーりー♪」
聞こえるか聞こえないかの小さな声で歌い出した曲が春香の耳に聴こえてきた。
(あ…歌上手だな)
透き通る様な歌声は小声で歌っていても春香の耳を綺麗に抜けていった。
一秒だけでもいい 君を今ー 感じたらー♪
…「好き」
(あずささんとは違う…なんでだろ、たどたどしいって言うか…)
違和感を覚える春香に気付く様子も無く女性は小さく溜息を吐くと再び小さく歌いだした。
一秒だけでもいい 君を今ー 感じたらー♪
「…好き」
(さっきと違う…この感じ、なんか似てるかも…)
「好、き」
知らない内に口に出てしまったのに気付いて春香は赤面した。
(あわわわっ、気付かれちゃったかな…恥ずかしいなぁ、もぅ)
「…春香?」
「えっ?」
不意に名前を呼ばれ春香は顔を上げた。
隣を見ると長い髪の女の子が座って居た。
「…千早ちゃん」
千早は春香の顔を見て驚きを隠せなかった。
「ちょっと、春香。どうしたのその眼…」
千早に言われて春香は苦笑いで返した。
「あは、あははは…これはぁ、その。なんでもないよ!」
「…言いたく無い様な事なら聞かない様にするけど。今日はレッスンじゃないの?
新曲が決まったのならレッスン漬けの筈よね?」
「あ…うん。ちょっと、飛び出して来ちゃって…」
「全く…」
千早は少し呆れた顔をしていた。
「それはともかくとしてさっきの言葉だけど」
「さっきの…言葉?」
「ほら…あの…「・き」って…」
千早は照れくさいのかその部分だけ言葉を濁した。
「あ…うん」
春香も思い出してしまって同じ様に照れくさくなった。
「あれは、どうやったの?」
「どうやったのって言われても…」
春香は俯いて持っていた缶を人差し指でトントンと叩き出した。
「すごく…良かったわ。私にはどうしても出せないのよ、その感じが…」
「初めて千早ちゃんに褒められた…」
「…私だって凄いと思えば凄いって言うし。…そこまでへそ曲がりじゃないわ。」
千早は不満そうに拗ねた顔をした。
「ううん、何か珍しいなと思って…でも千早ちゃんの2回目も良かったよ!すごい、いいなって思ったもん!」
「ふうん…2回目かぁ…」
そう言うと千早は何かを考え出した。
「ねぇ、千早ちゃん」
「なぁに?」
「9:02pm歌ってくれないかな…」
申し訳なさそうに春香は上目使いで千早に懇願した。
「私の中でまだ完成してないのに…でも、その泣き顔に免じて歌ってもいいわ。上手くないと文句は言わないでね」
千早はすっくと立ち上がり軽く咳払いをして9:02pmを歌いだした。
春香の聴く千早の9:02pmは非の打ち所が無かった。
「千早ちゃんすごいよ!あずささんの得意曲難しいのに!」
「ふぅ…ありがと。でも私の中ではまだまだなの」
春香は千早の歌に対する妥協を許さない真剣さに改めて感心した。
「さ、次は春香の番よ」
「へっ?」
「同じアイドルとして私は春香の為に歌ったわ。なら春香も歌で返すのが礼儀じゃない?」
「うぅ…言い返せない。」
「タダで歌ってあげるとは言ってないわよ」
「うぅぅ…ますます言い返せない…。…わかった!」
「新曲でお願いね」
千早はニッコリ微笑んだ。
追いかけてっ 逃げるフリ〜をして そっと潜る
私マーメイド
つかまえてっ 「好きだよ」と言ってほーしい♪
昨日とは打って変わって歌詞がすんなり出てきた事に春香自信も驚いた。
歌いながら徐々に解ってきた春香の気持ちは歌い終える頃にはすっかり固まっていた。
(私…プロデューサーさんの事が好きなんだ)
そう思うと少し楽になった。
歌を聴き終えて千早は何かを納得している様だった。
「少し吹っ切れた様ね」
「うん、ありがとう千早ちゃん!」
「私は何もしてないわ。最初から最後まで決めたのは春香自信の筈よ?」
そう言うと千早は立ち上がって春香に歩み寄った。
「それじゃ、私は寄る所あるから失礼するけど。…春香らしく行くのが一番だと思うわ。」
千早は春香の両手を掴んで言った。
「千早ちゃん…」
「それと…コーヒーを飲むならなるべくミルクが入ってるものにしなさい。それじゃ」
言い残して千早は春香が来た道と逆の方向に向かって歩き出した。
千早の小さな応援とアドバイスに春香は心から感謝した。
しばらくして春香はバッグから携帯電話を取り出して見ると着信が40件を超えている事に気付いた。
「ああ…すいません…」
携帯電話に向かってそう呟くと春香はメールを打ち出した。
ボーっと海を見つめながら片手に携帯電話を持ちながらプロデューサーは煙草を吹かしていた。
結局喫茶店や春香の家、春香の言ってた良く行くCDショップやらをしらみつぶしに立ち寄ってみたものの
消息は掴めず最後の頼みとして海まで来たもののやはり春香は居なかった。
「ここもダメかぁ…事故とか事件に巻き込まれたりとかしてなければ良いんだけど…」
煙草を消しては新しい煙草に火を点ける。
普段は春香を気にしてあまり煙草は吸わないように気をつけてはいるが今日は勝手が違う事もあり
いつもの3倍近く吸っている事に気付いた。
「ふぅ…仕方ない帰るか…」
その時、不意に携帯電話が鳴り出した。
「もしもし!春香か!?」
すぐさま声を掛けてみたものの返事は無かった。
「ん?」
待受け画面を確認してみると新着のメールが1件届いていた。
「メールかぁ…春香!?」
差出人の欄には春香の名前があった。
件名:ごめんなさい!
本文:プロデューサーさん、今日は本当に
ごめんなさい!それと
ごめんなさいついでに一つだけお願いが
あります…。
今はまだ理由は話せませんけど1週間位
お休みをください…。
辞めたいとかそう言うのじゃないので
そこは安心して下さい。
歌のレッスンとかは自主トレはちゃんと
します!
お願いします、わがままを聞いて下さい
…。
「なんだこれ…」
急な展開にプロデューサーは何かの間違いかとも思ったが差出人を再確認して
春香のメールである事を知ると返信をした。
件名:理由は
本文:どうしても話せないのか?
何があったのかは大体律子に聞いた。
普段なら絶対許可しない所だけど…
必ず戻って来ると約束出来るなら、
許可する。
戻ってくる時は必ず連絡する様に。
時間を作るので話しを聞きたい。
期間の延長も無い、約束できるか?
春香の所にもメールの着信音が鳴り響いた。
春香の携帯電話はプロデューサー用の着信音が用意されている様で春香はその音楽を聴いただけでも少し心がホッとする。
「まだ…見捨てられてないんだ…っ」
内心、放り投げられる事を前提でメールを送ったので返事が返ってくる事が予想外だった。
プロデューサーの優しさにまた涙が溢れてきた。
涙で滲む瞳を擦りながら春香はメールを確認した。
文面を読むだけで春香は声が漏れてしまう程泣きじゃくった。
そして返事を返す。
件名:約束します
本文:
それだけを打つのが精一杯だった。
打ち終えると春香は携帯電話を握り締めて座り込んで泣いていた。