響は部屋の隅で一人うずくまっていた。

不意に携帯電話の着信音が鳴り出すと反射的にビクッと体を震わせる。

肩の震えが止まらない。

カタカタと震える手で携帯電話に手を伸ばす。

パカリと開くとここ数日の間、毎日掛かってきている着信番号

今まで消すに消せなかったアドレス

トラウマが蘇る

根暗

震える喉を落ち着けて通話ボタンを押す

「…もしもし」

彼からの電話だった。

「う、うん…。そ、それは嬉しいんだけど…さ。…それは、出来ないよ。そうじゃないけど、でも出来ないから…。も、もう…掛けてこないで」
通話終了ボタンを押した途端、乱れた呼吸に酸素を貪る。

「はぁ…はっ、はぁはぁはぁ」
横たわったまま荒くなった息を整えようと必死に呼吸を続ける。

「ふっ…ぅ…。うぅ…にぃにぃ…」


TOP×TOPの合格から2ヶ月

件の電話があって以来

響は葛藤の末、本来の自分を知って貰う覚悟を決めていた。

その結果、プロデューサーが自分の事を嫌おうとも

今後一緒に活動が出来なくなろうとも

創られた自分のままで居る事がつらかった。

プロデューサーには知っておいて欲しかった。

オーディションの翌日

寝ているプロデューサーの胸の中で

好きになっていた事に気付いてしまったから…

時を同じくしてプロデューサーは社長に呼び出されていた。

「お話しとは何でしょうか?」

「まぁ掛けたまえ」
促されて席に着く。

「失礼します」

「話しと言うのは他でもない響君の事なんだが」
プロデューサーは不機嫌な様子を露にした。

「響がどうかしましたか?」
社長の言わんとしている事は既に把握していたからだった。

「最近、伸び悩んでいるようだがどうなのかね?」
社長の言う通りだった。

響はTOP×TOPでAランクを踏破したもののその上のSランクに至るまでの勢いがまるで無かった。

これまでの様な元気やダンスにも陰が見え始めたようにも思えた。

しかし、それをプロデューサーが見逃している筈も無かった。

そこで打ち出した故郷での一ヶ月間休養と言う案もマネジメント部に一蹴されたのだった。

後三ヶ月だからと。

「そこで無期限の活動停止をしようと思うのだが…」
遠まわしに言う社長の言葉もプロデューサーは呼び出された時から覚悟が出来ていた。

「引退させろと、そう言うことですね…」
プロデューサーの問い掛けに社長は渋々と言った感じで頷いた。

「長期の休暇と言う形で捉えて貰えると私も助かる」
プロデューサーは深い溜息を着いた。

響は確かに今、不安定な一種のスランプ状態にあるもののそれを乗り越えさえすれば確実に頂点に立てる逸材だった。

それを未完成のまま、引退と言う形を取らせてしまって良いのかどうか。

響が「もうやらない」と一言言えばその可能性は永遠に潰えてしまう。

そしてそれ以前に、響と離れてしまう事に不安を抱いていた。

プロデューサーは深く悩んだ末、もう一度溜息を吐くとゆっくり顔を上げた。

「わかりました。…心苦しいですが、そうしましょう」
プロデューサーが承諾すると社長も申し訳無さそうに言った。

「すまない。君には色々と迷惑を掛ける」

「いいえ、これも仕事ですから。それでは引退の事は私から響に伝えておきます。引退ライブの会場等の事も踏まえて」
そう言ってプロデューサーは立ち上がりドアノブに手を掛けた。

「…………」
と社長の言葉が背中から聞こえた様な気がしたが、プロデューサーには聞こえなかった。

「あ…」

「っ!?…ひび、き」
プロデューサーの表情が一瞬にして凍りつく。

開けたドアの目の前に響が立ち尽くしていた。

冷たい汗が背中を伝っていく。

プロデューサーは跳ねる心臓を音を必死に抑えながら次の言葉を探した。

「どうして…ここに…」
プロデューサーが聞くと響も動揺を隠せないのか瞳を泳がせていた。

「えっと…にぃにぃに、話したい事あって…」

「ど、どんな?」
どもってしまう自分に心の中で舌打ちしつつもプロデューサーはどうにか声を搾り出した。

それに対して響は何時もの笑顔で答えた。

「あ、あははは…やっぱ、いいや。なんか今ので忘れちゃった」

「響…」

「もう、決まった事なんでしょ?」

「すまない…」
謝るプロデューサーに響は微笑みを返す。

「あはは、にぃにぃが謝る事じゃないよ!自分の不調が原因なんだしさ」

「そんな事は―」
プロデューサーの言葉を遮る様に響は言葉を重ねた。

「そう言う事だよ…」
ボソッと呟く様に言った響の言葉がプロデューサーの耳にはハッキリと響いていた。

「っ…」

「もういいんだ、決まった事ならしょうがないよ。詳細が決まったらメール頂戴」
そう笑顔のまま振り返る響の姿をプロデューサーは見詰める事しか出来なかった。


それから一週間

引退ライブ決定以来、レッスンスケジュールに穴を空け続ける響とは別にプロデューサーは他の業務に追われていた。

これまでの響の活動が無駄になってしまわぬ為の模索

引退後から復帰までの計画を日々練っていた。

書いては消し、消しては書き

どれを響が選んでも全力を尽くす覚悟があった。

新たなチャンスを響と一緒にもう一度掴む為に

プロデューサーがそうするにはもう一つの理由があった。

「にぃにぃ」と話しかける声も

解りやすく不器用に甘える姿も

今のプロデューサーの隣には無い

ただ一人、たった一人の少女が居ない

それだけの事なのにプロデューサーは孤独に押し潰されそうだった。

たかだか一週間でこの有様なのだ。

これが一ヶ月、一年若しくは…

そう思うだけで夜も眠れなかった。

何もしていないと気が滅入ってしまうのが最もたる理由だった。

「よしっと」
書き上げた書類をトントンとデスクの上でまとめる。

「これだけ作れば何とかなるかな、ふっ…あーぁ。はぁっ」
大きく伸びをして息を吐いて一気に脱力して背もたれに寄りかかる。

「ちょっと無理しすぎなんじゃないですか?」
隣にいる小鳥が心配そうに声を掛けた。

「いえ、これくらいは」
小鳥がそう言うのも無理は無かった。

何せ、プロデューサーはこの一週間殆ど泊り込みの状態でデスクに向かっていたのだった。

「響の為でもありますから」
我ながら言った後で少なからず違和感を感じつつもそれをはにかむ事で隠して答えた。

「響ちゃんの為なのは解りますが…」
そうはにかみながら言うプロデューサーの表情には少し無理がある事に小鳥も気付いていた。

「今の俺に出来るのはこれくらいの物です、さて」
プロデューサーは書類をトントンとデスクで纏めると椅子から立ち上がる。

「お昼に行って来ますね」
プロデューサーの言葉を聞いて小鳥は目を丸くした。

「え?あ、いってらっしゃい…」
事務所を出て行くプロデューサーの後姿を小鳥は見送る。

「今まで、お昼なんて取らなかったのに…」
小鳥の心配を他所にプロデューサーは屋上の喫煙所に向かっていた。

重たい鉄製の扉を開くと蛍光灯とは違った明るさに目を細める。

「いい天気だな」
そう独り呟いてプロデューサーはタバコに火を点けると手すりに肘を掛けた。

吸った煙を細長く吐き出す。

ふわふわと漂い高い青空に溶けていく。

その煙の行方を辿って見えた青空にプロデューサーは響と出会った時の事を思い出していた。

健康的な褐色の肌に淡い色のワンピースを纏い屈託無く無邪気に笑う少女。

それがプロデューサーの響のイメージだった。

懐かしさに思わず笑みが零れる。

「響は…ラストライブには来るよな?」
そんな不安を感じていると屋上のドアを開ける音がした。

「ここにいらしたんですね」
そう声を掛ける主をプロデューサーは良く知っていた。

「珍しいかい?」
振り返ることもせずそう答える。

「えぇ、とても」
そう言う主の方をプロデューサーはようやく振り返った。

「美希ちゃんの事かい?」
目の前に居たのは美希のプロデューサーだった。

「美希と響ちゃんの事で」
答えてから美希のプロデューサーがタバコに火を点ける。

「響も含まれるのか…」

「えぇ、響ちゃんの事は先日小鳥さんからお聞きました―」
彼の言葉にプロデューサーは思わず破顔する。

「敬語は要らないだろ。殆ど同期で同じ立場なのに、寧ろプロデューサーとしては君の方が先輩じゃないか?」
言葉を遮られ一瞬キョトンとしたが彼はフッと笑うとまた話し始めた。

「役職としては君の方が上だよ。まぁ、君がそう言うなら良いんだけど。響ちゃんの事は残念だったね」

「まだ終わってない」
言い終えるか否かの所でそう答えたプロデューサーの反応を見て彼は再び小さく笑った。

「言うと思った。ま、正直あまり心配はしてなかったけど」
そう言ってプロデューサーの隣に同じ様に彼は手すりに肘をつけタバコをくゆらす。

「元々三ヶ月って言う期限付きの試験的なプロジェクトにも関わらず君は響ちゃんを1年近くも育てたんだ。やっぱり君は凄いと思うよ」

「ありがと」
ちっとも嬉しそうな素振りは見せずプロデューサーは言う。

そんなプロデューサーを見ても彼は嫌な顔一つせず、寧ろ”いつものプロデューサー”を見てる様で少し安心した。

「とは言え、仲の良い響ちゃんの引退は少なからず美希にも響いててね。毎日『なんとかしろ』って聞かないんだ…」
その言葉を聞いてプロデューサーは意地悪そうに笑う。

「ハニーは大変だ」

「にぃにぃもな」
やり返されてむっとむくれるプロデューサーを見て彼が意地悪い笑みを返す。

「その所為か最近美希も調子が落ちて来てる。この分だと美希もそう遠くないかも知れないな」
彼が言ったのは響と同じ引退の話しだった。

「そうか…すまないな」

「君の所為でも響ちゃんの所為でも無いだろ?ま、一回リセットした方が良いかも知れない。美希も響ちゃんもトップアイドルになるのに急ぎ過ぎたんだ」

「そうかも知れないな」
それからしばらく風の音とタバコの紙が焼ける音だけが聞こえていた。

「君が美希を連れて来てもうすぐ1年半か…」
懐かしそうに空を見上げる彼につられてプロデューサーも思わず美希をスカウトしてきた時の事を思い出していた。

「最初は大変だったけどね。でも君の目は確かだった」

「…」

「あれからすぐ『新しい笑顔を探して来る』って空港を後にした時はどうなる事かと思ったけど。君のスカウトが間違ってなかった事は
響ちゃんが証明してくれたんじゃないのかい?」
プロデューサーは少し考えて一拍子置くと笑顔で答えた。

「ん、そうだな」
プロデューサーの顔を一瞥して美希のプロデューサーは満足そうに頷いた。

「後は君次第だな」

「問題だな、そこが。なぁ、俺も一つ聞いていいかい?」

「ん?」
珍しいプロデューサーの質問に美希のプロデューサーが眉根を上げて聞き返す。

「美希ちゃんとは10歳近くも離れてると思うけど、大変じゃないのか?」
その問いに小さく笑うと彼は答えた。

「大変だよ、凄く。美希はワガママだしね…でも―」

「でも?」

「でも、凄く楽しいよ。皆に自慢したいくらいにね」
そう照れくさそうに、でもそれ以上嬉しそうに彼は笑った。

「なるほど…」

「君だけじゃない。響ちゃんだって色々あると思うよ、じっくり話して決めるんだね」

「そうか。…すまない、変な事聞いた」

「いいえどう致しまして。さてとそれじゃあ俺は行きます。美希が待ってますので」

「あぁ、ありがとう。美希ちゃんの事、出来る限り協力する。また相談してくれ」

「えぇ、お願いします」
プロデューサーが再びタバコに火を点けると少ししてから軋む音を立てて鉄製のドアが閉じた。

「自慢したいくらい…か」


ラストライブ当日

765プロダクション所属 我那覇 響

Aランク トップアイドル

突如として現れた南国育ちのアイドルは持ち前の笑顔とダンスでアイドルブレイクの渦中を駆け抜けた。

そんなアイドルの引退ライブは話題が話題を呼びドームのチケットは即日完売。

それまでの間、事務所に顔を出す事の無かった響は数十万のファンが待つ中

当日ラストライブの会場であるドームの控え室入りを早めに済ませ後から到着したプロデューサーを近くの公園へと連れ出した。

「来てくれて良かったよ」
プロデューサーがそう声を掛けると響は何時もの様に屈託無く笑った。

「嫌だな、自分がファンをほったらかす訳ないじゃん?にぃにぃが一番良く知ってるでしょ?」

「あぁ、そうだな。台風が上陸して延期にしたはずの野外ライブに予定日に行った事もあったな」

「あははっ、懐かしいなぁ♪」
クスッと微笑むと響は表情を落ち着かせた。

「今日が最後だね、にぃにぃと一緒に居られるのも」

「…」
響の言葉にプロデューサーは答えることが出来なかった。

「にぃにぃが初めに言った通り、自分は今トップアイドルになったよね?」

「あぁ、Aランク。正真正銘のトップアイドルだよ」
プロデューサーが言うと響は照れくさそうに笑った。

「えへへっ。沖縄で会って二日間、自分を見ただけでここまでしちゃうんだから。やっぱり、にぃにぃはすごいよ」

「そんなこと無い。響が頑張ってくれたから、なれたんだと思うよ?」
響は小さく首を振った。

「にぃにぃが、居てくれたからだよ。間違いない。ホント、今までありがとね。一緒にやれて、楽しかった」
そう言った響の頬に涙が零れ落ちる。

「おっと…えへへ、しんみりしちゃった。イカンイカン、まだライブがあるのにね」

「今年最大のライブがな」

「ねっ、にぃにぃ。何時もみたいにさ、リボン結ってよ!あれやって貰わないとなーんか調子出なくってさー」
矢継ぎ早にそう言いながら響はフッとプロデューサーの胸に顔を埋めてそっと背中に腕を回した。

「響…」
響の行為に一瞬戸惑いつつもプロデューサーは響のリボン一旦解いてまた結い直す。

そうやって自分から甘える響がプロデューサーは可愛くもあり、愛しく感じられた。

「ほら、出来たぞ」
ポンと肩を叩く。

「ぐすっ。うん、今日もにぃにぃが居るから大丈夫!絶対成功させてくるからね!」
顔を上げてリボンを一撫でするとニッコリと響は笑った。

「あぁ、絶対成功させような!響と俺の最高のライブを!」

「おー!」

響は思いの全てを笑顔に乗せてラストライブに挑む。

歌声

笑顔

そして、ファンへの思い

その一つ一つが声援となって返って来て満員のドームを揺るがす。

日本中を巻き込んだアイドルのそのラストライブは熱気と声援に包まれる中、アイドル史上稀に見る旋風を巻き起こした。

「にぃにぃ、聞こえる?この声援!」
ドームを揺るがす様な響コールが延々と続いていた。

「あぁ、聞こえるよ!これがトップアイドルの証だ!」

「自分、やったんだねっ!トップアイドルになったって言って良いんだよね!?」

「誰が何と言っても響はトップアイドルだよ!それはファンの皆が証明してくれてるよ」

「あはははっ、やったー!ありがとうっ、にぃにぃ!」
そう嬉しそうに笑う響の表情に嘘は無かった。

「それじゃ、自分着替えて来まーっす!直ぐ戻ってくるからここで待っててよ!」

「ん、解ったよ」
プロデューサーが答えると響は「うん!」と大きく頷いて背を向けて走り出した。

ステージを過ぎ

控え室を抜け

ドームの外へと

灰色の雲に覆われた鈍色の空がポツリポツリと冷たい雫を零し始めていた。

精一杯持てる力の全てを発揮したラストステージだった。

足の感覚は何時しか無くなり腕を振る力さえ既に尽きかけている。

それでも響は足を止められなかった。

最後のステージを終え、最高の笑顔を残せた。

最高の思い出も出来た。

もう怖い事は何も無い。

後悔も無い。

後はこのまま、走り続けさえすれば

全て終わらせる事が出来る。

笑顔のままで…

しとしと降り続く雨が響の体温を奪っていく。

肩で息をする度にふわりふわりと真っ白な息が舞い上がり空気に溶けて行く。

終に力尽きた響はその場に膝を着いた。

辺りを見回す。

雨の所為か辺りは既に暗くなり始め人通りは無い。

薄ぼんやりと街灯が響を照らしていた。

そこは響に最も素敵な思い出の残る場所だった。

初めてのオーディションに勝利した帰り道

プロデューサーと初めて手を繋いだ場所

プロデューサーの気持ちを少し知った場所

プロデューサーと二人並んで帰った場所

そこに今は一人ポツンと佇んでいた。

「もう少し頑張らなきゃね」
はあっと小さく深呼吸すると響は再び走り始めた。

懐かしい思い出達が冷たい風と共に過ぎ去っていく。

笑顔の奥から暖かい物がこみ上げてくる。

「はぁはぁはぁ…。ふ…う、ぅっ…うぁ…。うぅっ…んっ、ぅ…さよなら…にぃにぃ」

 SS寄り