<友情と愛情>
翌朝
昨日急に体を動かしたせいか足が筋肉痛になっているのに気付いた。
とは言え昨日よりも足は動くようになっていて手すりに掴まれば安定して歩けるようになった。
リハビリを兼ねてなるべく自分で歩いて行動するようにした。
飲み物を買いに行ったり、食べ物や雑誌を買ったり。
ふと携帯を持っていることに気付いて電源を入れてみると圏外だった。
外に出て中庭の方まで歩いていくと緑が多く陽が良く当たっていた。
流石に院外は圏外では無い様なので美希のプロデューサーに欲しい物の要望メールを送ってみた。
件名:おはようございます
本文:先日は失礼しました。
おかげ様で助かりました。
ありがとうございました。
一つお願いがあるのですが…
私のバッグを事務所から持っ
てきて貰えないでしょうか?
とは言っても大体の物は千早のバッグに入っているので着替えが気になる程度だった。
返事はすぐに返ってきた。
件名:Re:おはようございます
本文:おはよう、調子はどうだい?
美希も心配してるよ。
バッグの件は了解しました…
が今はライブの為に美希と移動
中なので行けそうな人がいないか
聞いてみます、期待はしないで…
文面を見て千早はクスリと微笑んだ。
美希のプロデューサーのメールは相変わらず最後に自信が持てない旨を伝えてくる。
千早からはお願いがあるときしかメールしていなかったし、条件の厳しいものが大半だったから癖になってしまったのだろう。
急いで欲しいものではあるがそんな無茶を言えるわけも無いので気長に待つことにした。
病室に戻ってベッドに腰掛けると昨日抱いていたプロデューサーの手帳が目に付いた。
悪いとは思いつつも千早は手帳を開いた。
カレンダーの欄にはスケジュールが組み込まれていて日付の所には詳細が書かれていた。
ペラペラと捲っているとメモ欄に切り替わる。
最初のページにはびっしりと字が書き込まれていた。
千早のスケジュールの計画、レッスンの計画、持ち歌、プロフィール、実績、カバー曲、カバーしてみたい曲…
見たくも無いものがプロフィールの中にあったもののプロデューサーなりに細かく分析してあるものの様だった。
再びページを捲ると日頃から疑問を抱いていた曲配分が幾つも書き込まれていた。
思い起せば今回の事故はこれが原因であるとも言える。
そう思うと少し寒気がした。
ボーカルナンバーが多く組み込まれている配分が多かった。
中にはボーカル、ダンス、ビジュアルが均等に振られている曲配分もあったがどれも大きく丸はされてなかった。
千早「…(こんな配分も考えていたのにプロデューサーは何故曲の配分にああも頑なだったのだろう?)」
それは千早には思いも着かない何かがあったのだろうか?
そう思いつつページを捲ると曲の楽譜が書かれていた。
メモ帳に楽譜用のページが市販されてるとは思えない。
プロデューサーの自作のページなのだろうか?
千早「…(楽譜?)」
それは千早の持ち歌であるボーカルナンバーが一曲ずつ丁寧に書き込まれていた。
そして所々にあるV字が目に付いた。
千早「…(ブレス…?)」
それを見ながら頭の中で曲を歌うと確かにそこでブレスをしてる事が自分でも確認出来た。
と言うより自分ののブレスを書き込んでいるものだと言う事に千早は気付いた。
千早「…(何故、ブレスが何を…)」
ページを捲っていると持ち歌が書かれている楽譜には必ず大小V字が目立つ様に書かれている。
そしてメモ帳が終わる直前のページには千早の知らない曲が書かれていた。
<目が逢う瞬間>
タイトルはそうなっていたその下に楽譜と歌詞が書かれていた。
これにはV字が小さく書かれていたが以前のページの様に目立つ程ではなかった。
頭の中でメロディをなぞってみる。
サビに入ると少しテンポアップする曲の様だった。
千早「…(歌ってみたい)」
そう思うのに時間なんて必要なかった。
今まで歌わずに居た日は一度もない。
声がでなくなってしまった今、強制的に歌えなくなってしまったがその気持ちが失われた訳ではない。
千早「…」
小さく溜息を吐くと手帳を閉じて窓に手を掛ける。
外は気持ちがいいくらい晴れていて小さな鳥が羽ばたいていた。
千早「…(鳥、か…)」
小さい体でも力強く羽ばたく鳥を見ると少し哀しい気分になった。
今まではあの鳥のように大空を羽ばたく為の翼が傍らに居てくれて、歌声と言う風切羽で飛んでいたと言うのに…
どちらも失ってしまった…
そう思うと涙が零れてきた。
目と目が逢う〜瞬間好〜きだと〜気付〜いた〜♪
貴方は今〜どんな気持ちで〜居〜る〜の?♪
何処からともなく小さな歌声が聞こえてきた。
千早「…(も〜どれない〜ふ〜たりだと〜分かっている〜けど〜♪)」
千早「…(す〜こしだけ〜このまま瞳〜逸〜らさない〜で〜♪)」
つい釣られて頭の中で曲を追ってしまう。
千早「…(私…重症ね…)」
軽く自嘲すると窓に背を向けた。
千早「…(目が逢う瞬間、か…え!?)」
千早は自分の耳を疑った。
千早の記憶通りならこれはまだ誰も知らない曲だったからだ。
リリースする予定だった千早の新曲。
再び窓に向き直り身を乗り出して歌声のする方を見てみるとそこには千早のプロデューサーが同じ様に窓て手を付いて鳥を眺めていた。
ひょこっと出てきた千早に気付いてプロデューサーはこちらを向いた。
目が合うとプロデューサーはニコッと微笑んだ。
千早P「おはよ♪今日は気持ちがいいね」
プロデューサーの言葉に千早はコクコクと頷いた。
千早P「あ、ごめん。歌邪魔だった?」
千早「…(いえ、そんなことは!)」
咄嗟の事だったのでつい喋ろうとしてしまい慌てて口を隠した。
千早P「ご、ごめん…知らなくて」
千早の様子を見てプロデューサーはばつの悪そうな顔をしたので千早はフルフルと首を横に振った。
千早P「如月千早さん、だよね?」
名前を呼ばれて千早は驚いた。
慌てて首を縦に振る。
千早P「昨日プロデューサーさんから聞いたんだ、一緒にここに運ばれたんだって」
千早は美希のプロデューサーが言ったのだとすぐに気が付いた。
千早P「もしよかったら、後でそっちにお邪魔してもいいかな?検診があるから遅くなるかもだけど」
千早はプロデューサーの申し出を快く承諾した。
もしかしたら何かを思い出して貰えるかも知れない。
何か力になってあげられるかも知れない。
寧ろそうしたい気持ちでいっぱいだった。
千早P「良かった。じゃあまた後でね」
千早はコクンと頷いた見せた。
はーっと大きく溜息を吐く。
何故かすごく緊張した気がした。
こう言うときはいつも音楽を聴いて落ち着いたりするものだがその為の道具も無い。
仕方が無いのでさっき買って来たミネラルウォーターを一口飲む。
女の子「千早の病室何処かなぁ?」
女の子「この辺なんでしょ?」
女の子「あ、あったあった」
その言葉と同時に病室がノックされた。
女の子「お邪魔しまーす」
声と髪を短く切った女の子が入って来た。
女の子「千早、久しぶりだねぇ♪」
声の主は真だった。
真はジャージ姿でスポーツバッグと千早のバッグを抱えていた。
真「へへー、千早のバッグ持ってきたよ」
続いてもう一人の女の子の姿が見えた。
女の子「千早ちゃん、もう起きてて平気…わぁっ!」
入ってこようとするなり溝につまづいてこけてしまう。
女の子「あいたたた…」
両サイドにリボンを結った女の子は春香だった。
春香は花束を抱えていた。
春香「あははは、やっほー…」
ばつが悪そうに手を小さく上げる。
千早は声は出ないもののコロコロと笑った。
真「大変だったねぇ」
春香「でもきっとすぐ治るよね、千早ちゃんもプロデューサーさんも」
その言葉に千早は笑顔で答えた。
真「一応バッグの中身を確認してくれる?携帯とか音楽のプレーヤーがあっても充電器が無いと意味無いしさ」
そう言うと真は千早のバッグを千早の前に置いた。
中身は確かにいつも持ち歩いている物は入っている。
お気に入りののど飴やポータブルプレーヤー等は事故の日のままだった。
春香「あ、後ね。必要になるかなと思って一応買ってきたものがあるの…」
申し訳無さそうに春香が袋を見せた。
袋の中には小さなノートやペンが入っており中には捲ると消えるビニールにタッチペンで書く物まであった。
中から一本のシャーペンと小さなノートを取り出して千早はサラサラと字を書き出した。
千早「…『筆談具?』」
書いて見せてから笑って見せた。
春香「うん、使うかなぁって」
春香の言葉にまたサラサラと書き出す。
千早「…『ありがとう、助かる♪』」
感謝の印に千早はサインの時に使う♪マークを付けて見せた。
春香「千早ちゃんが…♪マーク…奇跡だわ」
真「春香ったらさー、色々買うもんだから時間掛かってさ…」
真はげんなりした様子だった。
春香「だって可愛いのがいっぱいあって絞れなかったんだよ」
真「それは分かるんだけど、亜美真美が来たら一瞬で無くなりそうだよ…」
春香「そこまで考えて無かった…」
春香はシュンとしてしまう。
そんな二人のやり取りをみて千早は微笑んでいた。
忙しい中それぞれ別のユニットが来てくれた。
今の自分はソロユニットであってもやっぱり独りじゃない。
そう実感できた。
真「ああ、そだ。着替えは…ちょとわかんなかった…ごめん」
春香「流石にね、着替えの場所とかは美希のプロデューサーさん位しかわからないんだ…」
真「人間ドッグの服みたいなのはさすがにね…」
春香「うん…」
真「今度、来れそうな子にお願いしておくよ!」
千早「…『二人とも、本当に有難う』」
しばらく談笑していると春香が思いついた様にバッグからブラシを取り出した。
春香「千早ちゃん髪、梳かしてあげる」
その言葉に千早はフルフルと横に振った。
春香「いいからいいから♪」
春香が近寄ってくる間にペンを走らせる。
千早「…『シャワーも浴びれてないのよ?』」
春香「気にしない気にしない♪」
そう言うと春香は千早の髪を梳かし始めた。
スイスイとブラシを当て始める。
日頃の手入れが良い為か長髪でも引っ掛からずにブラシを通していく。
春香「千早ちゃん、髪長くて羨ましいなぁ」
久々と言う事と人に梳いて貰うと言う事が相まって千早は気持ち良さそうにしていた。
春香「でもいくら入院中とはいえブラシングはして身だしなみは気をつけないと、女の子だもんね」
千早「…『すいません』」
春香「あは♪千早ちゃんに謝られた♪」
春香もご機嫌なようだ。
春香「結ったりしてみる?三つ編みとか?」
千早「…『それは結構です』」
春香「ざーんねん」
千早「…『おもちゃにしてる?』」
春香「そんなこと…ない、多分」
髪を梳かし終えると春香はピンを二つ取り出して千早の前髪を上げて止めた。
春香「垂らして置くとニキビになっちゃうからね」
確かにピンは家でしか使わないので持っていなかった。
春香「完成っと♪」
真がちらりと時計を見る。
真「そろそろ時間かな?春香もレッスンじゃなかったっけ?」
春香「もうそんな時間!?」
真「うん」
春香「残念、もっと居たかったなぁ」
真「また、来ようよ!空いたらすぐ」
春香「そうだね」
慌しく帰り支度をしながら真と春香が話している。
千早はその姿が少し羨ましかった。
真「じゃあ千早、また来るね!」
春香「またね、千早ちゃん!」
病室を後にする二人に手を振って見送ると千早はまた窓から空を見上げた。
夕日が赤く染まっている。
普段なら夕日を見ることも少ないくらいレッスン室に篭っているのである意味新鮮な光景だった。
コンコンとノックドアがノックされた。
声が出せないので開けようと思い近づくとドアが開かれた。
千早P「おっと、ごめん!」
千早「っ!?」
千早P「お邪魔しにきました」
プロデューサーが笑顔を見せる中、千早はただコクコクと首を振った。
千早P「体は大丈夫?」
千早「…(コクコク)」
千早P「そっか、それなら良かった」
室内に入るとプロデューサーは真っ先に窓に向かっていった。
千早「?」
千早P「あ、いや何となくね。癖みたいで…」
変なことを言うプロデューサーに千早はクスクスと笑った。
千早は備え付けの椅子に腰掛けた。
千早P「うーん…お邪魔してみたはいいけど何を話そうか」
千早の方に向き直ったプロデューサーは右手の親指を唇に当てていた。
千早「…(あ…)」
千早はサラサラと紙にペンを走らせた。
千早P「ん?」
千早「…『それは、あなたの癖です』」
書いてプロデューサーに見せた。
千早P「それって、これ?」
プロデューサーが右の親指を上げると千早は頷いた。
千早P「むぅ…あまりいい癖じゃないね…ところで」
千早P「その、千早さんとは…」
プロデューサーは途中で口ごもってしまった。
千早「?」
千早P「言いづらい?違うな…慣れ?千早って呼んでもいいかな?」
千早はコクンと頷いた。
千早P「千早とはなんか初対面では無いみたいなんだけど一緒に運ばれてきたみたいだし」
千早P「差し支えなければ知ってる事を教えて欲しいんだけど…」
千早「…『私は765プロダクション所属の歌手で、あなたは私のプロデューサーです』」
千早P「プロデューサー?俺が…君の?」
千早「…(コクン)」
千早P「そっか…うーん…ごめん、思い出せない。でも千早に会った時、すごい懐かしいって言うか」
千早P「すごい安心した気分になったんだ。だからなるべく一緒に居たいと思うんだけどダメかな?」
プロデューサーの言葉に千早は首を横に振るとペンを走らせた。
千早「…『私も、そうしたいです』」
千早P「よかった、ありがとう」
プロデューサーの笑顔に千早の胸は高鳴った。
自分の我がままで招いた悲劇。
それでもこの人は笑顔をくれる。
もし記憶を取り戻したら…?
彼は自分を責めるだろう。
そう思うと少し怖くなった。
千早P「今はまだ何も思い出せないけど頑張ってみるよ」
千早「…(コクン)」
しばらくの沈黙が流れる。
重い…沈黙
しかしそこには何故だか安心感があった。
プロデューサーが傍に居てくれる。
プロデューサーが守っていてくれる。
プロデューサーが見てくれている。
プロデューサーが見て…。
千早「っ!?」
焦ってがたっと椅子を鳴らしてしまう。
千早P「ん?」
プロデューサーが不思議そうに千早を見つめた。
気がついてみれば自分は5日間もシャワーを浴びていなければ服も替えてない。
ましてや髪は今日、春香に梳かしてもらった程度だ…。
春香「女の子だもんね」
春香の台詞がリフレインする。
そう思うとなんだか恥ずかしくなってきた。
千早P「じゃあそろそろ行こうかな?長居してもあれだし」
プロデューサーの言葉に千早は見送ろうと立ち上がった。
千早「っ!?」
焦っていた為、立ち上がるのと歩き出す動作が重なってしまいバランスを崩す。
千早P「おっと」
つんのめった所にプロデューサーが立ち塞がってくれた。
千早「…(カーッ)」
みるみる千早の頬が紅く染まっていく。
千早P「大丈夫?」
結果的に抱きしめられる形になってしまった。
ドクン ドクン と鼓動が高鳴っていくのが自分でも確認できる。
落ち着くはずのプロデューサーの匂いがこんなに近くにある。
千早P「千早」
プロデューサーの声にはっ我に返り慌てて顔を離す。
千早P「ごめん」
一言謝るとプロデューサーは千早をギュッと抱きしめた。
千早「…(え?)」
何が起きているのかすぐには認識出来なかった。
恥ずかしさで我を忘れていた最中の出来事だった。
それでも千早は嫌な気はしなかった。
むしろ安心さえしていた。
それに答える様に千早もプロデューサーの背中に腕を回した。
千早P「なんでだろう。すごくこうしたかった気がする…プロデューサーだからかな?」
千早「…」
千早P「好きだからかな?」
千早「っ!?」
好…き?
プロデューサーが?
この気持ちが?
確かに今まで成功を祝して美希のプロデューサーと抱き合う事もあったがこんな気持ちにはならなかった。
そう思うと余計に体温が上昇してくる気がしてきた。
千早P「良く覚えてないのにこんなことして…俺って…」
そう言うとプロデューサーは千早から離れた。
千早P「ごめん…」
プロデューサーの言葉は千早には届いていなかった。
千早は胸のそこに暖かい何かが生まれた気がしていた。
それは今まで感じた事の無い。
とても大切な想いで…。
千早P「ま、また今度お邪魔するね」
照れながらプロデューサーは言った。
千早は俯きながらプロデューサーの袖口を摘まんだ。
名残惜しそうにする千早にプロデューサーは言った。
千早P「また、お話ししよう。迷惑じゃなければ」
プロデューサーはニコリと微笑んだ。
その言葉に千早も笑顔で返した。
千早P「ありがとう、またね」
そう言うとプロデューサーは病室を後にした。
プロデューサーを見送った後も千早はほんのり暖かい気持ちに包まれていた。
千早「…(…あ)」
プロデューサーが帰った後に手帳の事を思い出した。
急いでベッドから手帳を持って出ようとした時誰かにぶつかった。
美希P「っと!?」
千早は驚いた。
美希のライブで移動中だと聞いていたはずのプロデューサーがここに居たからだ。
美希P「いきなりごめん、美希が連れてけってうるさくてさ…」
横からひょっこり美希が顔を出す。
美希P「着替えも持ってきたよ。要ると思ってね。…それは?」
千早の持っている手帳をみてプロデューサーが言った。
ベッドに戻り筆談具を取り出すと千早は字を書き始めた。
千早「…『プロデューサーの手帳です』」
美希P「なるほどね」
千早「…『ライブはどうしたんです?』」
美希「なんかね、今日のライブ終わったら北海道の方に行く予定だったんだけど吹雪で延期なんだって」
何故か美希が嬉しそうに答えた。
美希P「延期と知った途端につれてけーつれてけーってさ」
千早の着替えを棚の上に置いて椅子に腰掛ける。
美希P「千早、その手帳貸してくれないか?」
言われて千早は手帳をプロデューサーに渡す。
美希P「ありがと」
そう言ってプロデューサーは手帳を開いた。
千早が止めようとすると代わりに美希が手帳を千早に差し出す。
美希「はい、これ♪ハニーの、これでアイコにしてあげて♪」
そう言う問題じゃないなと思いつつ千早も仕方なく渡された手帳を開く。
パラパラとページを捲ると同じような内容の事が書かれているのが分かった。
違うのはやはり楽譜のページは無かった。
その代わりメモ欄には千早のプロデューサーのとは違い美希の衣装や似合いそうなアクセの事がビッシリ書かれていた。
美希はプロデューサーの後ろから抱き付いて顔を並べて手帳の眺めている。
美希P「うわ、これすごいな」
美希「楽譜だねぇ」
美希P「アイツらしいと言えばらしいけど」
美希「そうなの?」
美希P「細かいからね」
美希「ふ〜ん」
千早のプロデューサーの手帳を見ながら二人が思い思いの事を話してる。
仲睦まじいと言うのはきっとこう言う光景を言うのだろう。
以前から思っていたことだがこの人と美希は本当にお似合いだと思う。
すこし羨ましくも思えた。
美希「すごいね、千早さんのプロデューサーは」
美希P「どうして?」
美希「だって千早さんの歌う曲の楽譜までいつも持ち歩いてるって事でしょ?なんか愛情を感じちゃうなぁ」
悪戯っぽく美希は笑った。
愛情…。
さっきあんなことがあったばかりなので余計に意識してしまう自分がいた。
美希P「オホン…俺のにだって美希のアクセとかの一覧があるだろう?」
美希「まぁねぇ♪」
美希P「千早は歌唱力が重視の歌手、美希はビジュアル重視のアイドル。その差だよ」
美希「へぇへぇへぇへぇ」
美希P「信じてないな?」
美希「うっそ♪信じてる、ハニー♪」
美希P「まあでもこの楽譜に関しては愛情を感じるなぁ、同じプロデューサーとしても。ま当然と言えば当然だけど」
プロデューサーはペラペラ捲りながら話した。
美希「ねぇねぇハニー。Vってなぁに?」
美希P「ブレスの事だよ」
美希「息吸う所?」
美希P「歌の中でね」
美希「ふ〜ん、どれどれ」
美希は小さく鼻歌を歌いだした。
美希P「なんでこんなにこだわってるんだ?千早はなんか聞いてる?」
その問いに関してはただ首を横に振るしか無かった。
美希P「ティアラの時からの持ち歌が殆どだからなぁ」
二人の話しを聞いていると事故の日の記憶が蘇って来た。
自覚が足りないと言われた。
美希を信頼しすぎているとも言われた。
その時は頭に血が上っていて何も思いつかなかった。
今この二人がいる状況なら何か思いつくかもしれない。
千早「…『何かわかりますか?』」
美希P「正直今のところは何も…」
美希「本とだ!すごいね♪」
急に美希が声をあげた。
美希P「何が?」
千早も美希を見つめる。
美希「ミキね、今歌ってみたんだけどこの小さいVの所で息してるの!ティアラの時のままだよ♪」
美希P「ティアラの時のまま、ねぇ…」
プロデューサーは少し考え込んだ。
美希「どしたの?ハニー」
美希P「あいつなら、こだわるかもね。特に千早の事に関しては…」
プロデューサーはブツブツと良く聞き取れない独り言を喋っていた。
美希P「千早」
呼ばれて千早は顔を上げた。
美希P「ここ最近あいつに何か言われた事あるかい?」
聞かれて千早はサラサラとペンを走らせた。
千早「…『自覚が足りないと、美希に頼りすぎだと』」
千早「…『どう言う自覚が足りないのかは教えてもらえませんでした』」
美希P「自分で気付けって奴だね。悪い癖だ」
千早「…『プロデューサーはプロデューサーの後輩なんですか?』」
美希P「プロデューサーとしてのね。あいつは自分が鋭い分、他人にもそこに気付かせようと思うからね」
美希P「人にはどうしても見落としてしまう所があるからそこを教えてやる方がいいって言ったんだけどな」
そう言ってプロデューサーは腕を組んだ。
千早「…」
美希P「んじゃ先輩らしいところも見せておこうかな?アドバイスって奴」
千早「…『教えてください!』」
美希P「千早はソロデビューしてからもブレスの位置が変わらなかったんじゃないか?」
千早「…」
美希P「ティアラは二人居たから入れ替わりで歌うパートもある、ならブレスの位置は一人だと当然変わるよね?」
千早「っ!」
美希P「一人で歌ってるのにブレスが変わらなかったら強弱、緩急つける所もティアラの時と変わらない」
美希P「もっと千早らしく歌を歌って欲しかったんじゃないかな?歌手らしく、ね。それに気付けって事だろうね」
美希P「千早がデビューした頃から一目置いてたからね、アイツは。嬉しかったんじゃないかな、プロデュース出来て」
プロデューサーの言葉に千早は涙を抑えられなかった。
短い期間ではあるがプロデューサーが惜しみなく注いでくれた愛情が感じられた。
歌手としてソロデビューしておきながらティアラに甘えていた自分…
歌手としての自覚を覚えさせる為の配慮…
そう言った暖かさに気付けずにいた自分の愚かしさを今改めて感じていた。
美希P「千早が悪いわけじゃない。あいつなりの愛情表現なんだよ。音楽をやってたみたいだからさ」
美希P「あいつも人の事言えるほど器用じゃないけど、好きになって貰えたら同僚として嬉しい」
千早「…『ありがとうございます』」
美希P「どういたしまして」
美希「でもハニーなんでそんなの気付いたの?」
美希が不思議そうに聞いた。
美希P「ん…それは、美希がティアラの時のままだって言ったから…?」
美希「じゃあミキのおかげじゃん!」
美希P「はい…」
美希「感謝してよね♪」
美希はそう言うと横を向いて腕を組んだ。
美希P「はい…ありがとうございます…」
二人を見て千早は微笑んだ。
なんて仲が良いのだろう。
自分にもこんなパートナーが出来るのだろうか?
例えば、プロデューサーのような…
美希P「じゃあ隣の様子見てくるな」
美希「あ、逃げた」
千早は美希の肩をポンと叩いた。
美希「なぁに?千早さん」
千早「…『人を好きになるってどんな感じかしら?』」
紙を見せて千早は赤面してしまった。
かなりストレートな事を聞いていると自分でも思う。
美希「ん〜。ミキはハニーの為ならなんでもしたいってカンジかな?」
それを聞いて千早は更に真っ赤になった。
美希「一緒にいるだけで楽しかったり…触れるだけドキドキしたり…良くわかんないや」
美希は照れているのかポリポリと頭を掻いた。
美希「千早さんプロデューサーの事好きなの?」
その言葉に、千早は激しく慌てふためいた。
美希「その様子を見れば分かるの♪」
千早は赤面して俯いた。
美希「応援してる♪」
そんな話をしていると美希のプロデューサーが戻ってきた。
美希P「さてそろそろ行こうか、暗くなってきたし」
美希「うん、わかった〜♪」
タタッと駆けてプロデューサーの元へ行く。
美希「じゃ、千早さんまたね♪」
美希を見送ると千早はベッドに戻って返しそびれた手帳を広げた。
ブレス、新曲、曲配分。
その一つ一つが今となってはどれも理に適っているように思える。
そして、プロデューサーがどれだけ自分を細かに分析し、愛情を持って書いてくれているのかも…
いつか声を取り戻したら、またプロデューサーと一緒にステージに上がりたい。
この手帳が無ければ自分はそのまま潰されていたのかも知れない。
この事に気付けただけでも千早にとっては大きな前進だった。
明日からはもっとプロデューサーと話しがしたい。
もっと一緒に居たい。
もっと触れて居たい。
壁一枚を隔てた距離がとても遠いように思えた。