<Zusammen:ツザンメン(共に)>

ポツポツとテーブルの上に広げたノートをボールペンの尻で叩く。

「うーん…」
961プロに入社して2ヶ月が過ぎようとしていた頃、久しぶりのオフだと言うのに貴音のプロデューサーは
一人頭を悩ませていた。

その原因の種は言わずもがな、彼の担当する四条 貴音の事だった。

素行やトレーニングに対する姿勢になんら問題は無い。

詰め込まれたオーディションも計画的にスケジュールを組みそのスケジュールも問題なくこなしてくれる。

そのお陰で元々素質のある彼女は今の所、見事に負け無しで来ている。

一体何に問題があるのか

今悩んでいる当のプロデューサーですら、最初は気分が高揚し過ぎていて気付かない程だった。

それはルーキーズに合格した日の事だった。

新人アイドルのアイドル人生を賭けた登竜門とも言えるルーキーズ。

各プロダクションの社運を賭けて挑むと言っても過言ではない苛烈なオーディション。

小さめのオーディションで調整を重ねて、感覚を掴んでからの参戦となった貴音は危なげも無くそのオーディションを
突破してくれた。

元々ポテンシャルの高い貴音ではあったが特にボーカルの才能はずば抜けていた。

丁寧に歌い上げる技術

時折見せる可愛らしい声

そして色気と妖艶さを醸し出す独特の息の抜き方

審査員のみならず、参戦したアイドル達ですらその才能に釘付けにされていた。

内容から合格は目に見えていた物の、初の大型オーディションの合格発表に当人ではなくプロデューサーの方が
緊張をしていた位だった。

合格発表が行われ、四条貴音の名前が呼ばれる。

「あはははっ!やったね、貴音っ!」
声を上げてプロデューサーは駆け寄って手を差し出した。

「??」
手を差し出された当の貴音は小首を傾げてキョトンとしている。

「貴音の努力の賜物だねっ!」
そこまで言って貴音はおずおずと手を重ねた。

「ありがとうね!貴音」
握った手を上下に振るプロデューサーを一目見て小さく息を吐くと手を離した。

「では、さきに自宅に戻っております。何か御座いましたらご連絡下さい」
そう言い残して、貴音は帰ってしまったのだった。

「…?」
その後姿を見送ってプロデューサーはふと気付いた。

貴音に足りていない物

それは、人間誰しも持ち合わせている物なのに貴音にはそれが無いのだろうか?

嬉しいと思う気持ち

きっと今日、貴音に負けたアイドル達の誰を取っても勝ったなら声を上げて喜ぶだろう。

中には泣いて喜ぶ子も居るかも知れない。

それだけのオーディションだったと言うのに貴音は表情一つ変える事も無かった。

ただいつもの様に冷たい視線と表情を崩さぬままオーディション会場を後にした。

あの時の

初めて出会ったあの時の、微笑んだ様に見えた貴音の表情は何だったんだろう?

単なる初対面の挨拶だったのかな?

「うーん…」
ふと思い出した違和感と思い掛けぬ難題にスケジュールをまとめる為に広げたノートが風に捲られているのも気付かなかった。

「女の子って難しいんだなぁ…」
捲られてしまったページを元に戻して再びノートに向かう。

「っていけないいけない!僕がしっかりしないと」
765プロの新人が鮮烈なデビューを飾ったと言う情報も耳に入ってきている。

「…」
そして彼は空に流れる雲を見上げていた。

その頃、貴音は最近見つけたオープンテラスの喫茶店でぼんやり空を眺めながら午後のティータイムをとっていた。

デビューをしてから久しい休日だったので何気無しに外に出てみたくなったのだった。

「はぁ…」
冷めかけた紅茶を一口啜って小さく溜息を一つ。

周囲の喧騒も今の貴音には聞こえていなかった。

カチャリとソーサーに置いたカップが小さく音を立てる。

揺れる紅茶を覗き込むといつも鏡で見ている自分の顔がそこにあった。

変わった事がある筈もない。

でも何故か気持ちは落ち着かなかった。

貴音の脳裏にふとルーキーズでの出来事がよぎる。

プロデューサーの差し出した手

何故あの時プロデューサーは手を差し出したのだろうか?

そして

手を握った時、どうして思わず微笑んでしまいそうになったのか

あの時は思わず誤魔化してしまったが今思えば不思議で仕方が無かった。

特に何かをした訳でもない。

勿論、貴音自身嬉しくないわけではない。

負けるより、勝つ方が嬉しい。

それでもただオーディションに勝っただけの話だった。

なのに何故、笑みが零れてしまいそうになるほどあんなに嬉しかったのか自分自身にも解らなかった。

暖かな手の感触が蘇る。

「クスッ」
握られた方の手を見つめるとキュッと胸の奥を摘まれた様なくすぐったい感じと共に小さな笑みが零れた。

プロデューサー

貴音が今までに出会ったことの無い不思議な感覚の人だった。

特にこれと言って目立った所はない。

歌の感覚にしてもダンスの感覚にしても自分の方が上なのではないかと思う。

年上なのにどちらかと言うと頼りない。

ルーキーズの時は彼の方が緊張して同じ方の手足を同時に出して歩いていた位だ。

でも、何事にも真面目で真っ直ぐで研究熱心で

彼になら安心して自分の事を任せておける。

それが、貴音がこれまで彼と接してきた正直な感想だった。

だからと言って、自分がこうなってしまう事に疑問は尽きない。

「ふぅ…」
貴音は一つ、小さな溜息を吐いて冷め切ってしまった紅茶を飲み干すと店を後にした。

後日

「調子は…問題なさそうだね」
プロデューサーは貴音を一目見るといつもの様にそう呟いた。

「えぇ、問題ございません」
ウォーミングアップをしながら貴音はそう答える。

「うん、じゃあいつも通り頼んだよ」

「えぇ、ご安心下さい」
貴音の言葉を聞いてプロデューサーは大きく頷く。

ルーキーズ合格以来、”銀色の王女”こと貴音の知名度はうなぎ登りだった。

それはファンのみならず、アイドル業界の中でもそれは変わらない。

今もオーディション参加者の中で一人注目を集めている。

(これなら…問題ないな)
プロデューサーは心の中で胸を撫で下ろす。

貴音の調子が万全な上、他のアイドル達が無用なプレッシャーを受けている今ならトラブルでも無い限り負けはしないだろう。

初見もそうだったが貴音には他に見られない独特の空気を纏っている。

嫌でも人の目を惹きつけてしまう、その存在感が他のアイドル達にはプレッシャーとなるのだった。

まだまだデビューから間もないアイドル達にはこれを無視して自分の空気を作る事が難しい。

かくして今回のオーディションもプロデューサーの予想通りの結果となった。

「お疲れ様、貴音」

「お疲れ様です、プロデューサー様」
未だに聞き慣れない様付けにプロデューサーは苦笑いを隠せない。

「それじゃ、また追って連絡するね」
着替えを終えている貴音にいつも通り一声掛けて言葉を待つ。

「ん?」
「自宅に戻っています」と言う言葉が待てども聞こえて来ない。

「た、貴音?」
奇妙な不安感にかられ思わず声を掛ける。

「あの、プロデューサー様」
無表情のまま貴音が口を開く。

「な、何かな?」
無表情なだけにその感情の程を読む事すら出来ぬまま、返事をする。

「本日は何でお帰りになられますか?」
不意に投げかけられた質問に首を傾げたが、すぐに理解する。

「歩いて帰るよ、ちょっと遠いけどね」
プロデューサーのその言葉を聞いて、貴音は一拍子置いて再び口を開いた。

「では、ご一緒してもよろしいでしょうか?」

「は?」
貴音の申し出に耳を疑って聞き返す。

「お帰りをご一緒しても?」
そして何事も無かったかの様にもう一度繰り返す貴音。

「あ、うん。それは…構わないけど」

「では、参りましょう」

帰り道

プロデューサーは一人、気が気ではなかった。

と言うのも貴音の申し出を了承したプロデューサーだったが、もうかれこれ15分もの間無言のまま歩き続けていたのだった。

そして隣にはサングラスを掛けてはいるが銀色の髪とその存在感故に何の意味も成さない変装を施した貴音が居る。

すれ違う人が誰しも振り向くのは言うまでもないが、隣に居る貴音が全く話す気配の無い事がとてつもなく落ち着かないのだ。

「あ、あの…貴音?」
居た堪れなくなったプロデューサーが声を掛けると貴音は振り向きもせず返事だけを返した。

「はい」

「一緒に帰るのはいいんだけど…なんか話しがあったとか、じゃないの?」

「ええ、ございます」
理由があって貴音が帰りを共にしている事にプロデューサーホッと安堵した。

「じ、じゃあその話しって言うのは…?」
プロデューサーが聞くと同時に貴音はピタリと歩みを止めた。

「っと」
合わせてプロデューサーも足を止める。

不意に止まって貴音はそのまま喋らず考える様に視線を下げた。

そして思い立ったかの様にプロデューサーと視線を合わせた。

「お伺いしたい事がございます」

「う、うん…答えられる事なら」
プロデューサーが返すと貴音は小さく頭を下げて口を開いた。

「お伺いしたいのはこの間のルーキーズの事でございます」

「ルーキーズ?」

「はい、あの時。ルーキーズの合格発表が終わった際プロデューサー様は握手をお求めになられたでしょう?」

「あー、うん」
あの時の事はプロデューサーの記憶にも新しい。

この所考えていたのはその時の事ばかりだった。

「その時、私の中で一つの戸惑いが生じました」
貴音が言うとプロデューサーは小首を傾げた。

「戸惑い?」

「はい、あの時…あなた様の御手に触れた時、私は…」

「うん…」

「何時に無く…嬉しく思いました」

「そ、そうなんだ…」
貴音がそんな事を言うので思わず照れてしまう。

それに貴音にそう言う感情がキチンとある事を知れて、プロデューサーも嬉しかった。

「それで…何故、嬉しく思ったのかと思いまして。プロデューサー様なら何かご存知ではないかと」
プロデューサーの照れていた顔が一瞬で困惑の表情に変わる。

「えぇっと…あぁ、ん?」
聞き間違いかと思いもう一度聞きなおす。

「あの時、私が何故嬉しく思ったのかプロデューサー様はご存知ではないですか?」
プロデューサーは一層困惑の表情を濃くした。

貴音が言っている事を頭の中で整理する。

貴音は「自分が何故嬉しく思ったのかを教えて欲しい」と言っている…

事に間違いは無さそうだった。

貴音の表情は真剣そのもので答えを求めている。

「えと、それは流石に俺じゃ…解らないかな…?」
プロデューサーが答えると貴音は表情をそのままに視線を落とした。

「左様でございますか…」
貴音は小さく溜息を吐く。

期待をしていただけに少しショックだった。

「でも、良かった」

「え?」
不意に言ったプロデューサーの言葉に貴音は再び顔を上げる。

プロデューサーは嬉しそうに笑っていた。

「貴音があの時、表情を変えなかったから嬉しくないのかと思ってたよ」

「私とて嬉しいと思う事はございます」

「だよね、あははは」
何がそんなに嬉しいのかプロデューサーは声を出して笑っている。

「安心したよ、ありがとう」

「??」
お礼を言ったプロデューサーに貴音は思わず首を傾げた。

「貴音の質問には答えられなかったけど、貴音が頑張ってオーディションに勝って嬉しいと思うならそれで良いと思う。だから…」
そう言ってプロデューサーはあの時の様に手を差し出した。

「一緒に頑張ろう!」

「あ…」
貴音はこの時、自らの疑問に一片の答えを見つけた気がした。

ほんわりと胸が暖かくなる。

独りでではなく共に頑張る事

一緒に同じ道を歩む事

それが答えの一つなのかも知れない。

そう思うと何だか嬉しくて口元が綻んだ。

「はい♪」
そう返事をしてクスッと笑みを零す。

「これからも、ご一緒に」
貴音は言いながら差し出された手に右手を重ねた。

初対面の時の様にではなく、自らその手をキュッと小さく握る。

「あぁ、やっと笑ってくれた」
貴音の手を優しく握り返してプロデューサーはニコッと微笑む。

「え?」

「初めて会った時以来貴音の笑顔は見てないからさ、もう笑ってくれないのかと思った。うん、やっぱり笑ってる方が可愛いね!」
プロデューサーの言葉に頬が熱くなる。

「なっ、何をっ…」
赤面する貴音に対してプロデューサーは神妙な面持ちで貴音と瞳を見つめた。

「約束しよう」

「約束?」

「いつか離れてしまっても必ず迎えに行くよ、だから微笑を絶やさないで。笑顔の貴音で出迎えて欲しい」
貴音の胸が震える。

いつか離れてしまうと言う言葉に対する恐怖

必ず迎えに行くと言った言葉に対する安心感

そのどちらもが貴音の胸を震わせた。

真剣な表情でそう言ったプロデューサーの言葉に微塵の猜疑も無かった。

思わずポロポロと涙が零れる。

「かっこつけすぎたかな、あはは…って、えぇ!?た、貴音っ!?」
不意に泣き出した貴音を見てプロデューサーは狼狽を隠せない。

「な、なんかへへ変な事言ったかな…?」
プロデューサーの狼狽ぶりが余りにも可笑しくて涙を拭いながら笑みが零れてしまう。

「ウフフ。いえ…スン、そんな事はございません。ぐす…嬉しくて…うぅ」
貴音の言葉を聞いて安心しつつも、プロデューサーは泣き続ける貴音の髪に恐る恐る触れてみた。

緩やかなウェーブの掛かった銀色の髪の毛が指の間を滑って行く。

貴音が嫌がる様子は無かった。

貴音としてもプロデューサーが髪に触れる事に嫌悪感は無かった。

サラサラと髪を撫でるプロデューサーの暖かい手が心地良かった。

プロデューサーはそのまま貴音が泣き止むまで髪を撫でていてくれた。

「ぐす、お見苦しい所をお見せして申し訳ございませんでした」
乾きかけた涙を拭って貴音が頭を下げる。

「気にしなくていいよ、ちょっとびっくりしたけど…」
そう言って貴音の髪を最後に一撫でする。

貴音は顔を上げて少し照れ臭そうに微笑んだ。

「じゃあ、もう行こうか?」

「左様ですね、お時間を頂きまして申し訳ございませんでした」

「いいえ。力になれたかどうかは解らないけど」
プロデューサーの言葉に貴音は小さく首を振る。

「充分に」

「そっか、なら良かった。さ、それじゃあ行こう。大きなオーディションが控えてる。貴音には休んで貰わないとね」
そう言ってプロデューサーはニコリと微笑んだ。

その笑顔に答える様に貴音は目を細める。

「はい。参りましょう、ご一緒に」

 SS寄り