オーディションの日
一頻り降り続いた雨は何処へやら空には雨雲一つ無くじめっとした感覚が夏の気候を思い出させた。
「暑いったらないわ…」
オーディション会場の控え室で伊織はそう呟くとがっくりと肩を落とした。
「こんなんじゃ体調も崩しちゃうよね」
雪歩が伊織に同意する。
「でもでも他のユニットさん達も頑張ってますし、私達も頑張らないと!」
やよいがグッとガッツポーズを作ると少し遅れてプロデューサーが涼しげに顔を出した。
「やぁ、ウォーミングアップは済んだかい?」
その姿を見て伊織が更に肩を落とす。
「アンタ…暑くないわけ?」
伊織が言うのも無理は無かった。
湿気交じりの蒸した陽気の中、プロデューサーは濃紺のスーツをカッチリと着てネクタイもしっかり首元まで締めている。
「暑くない事は無いけどね。ちょうどいいんじゃないかな?」
案の定そんな事は無さそうにそう答えるプロデューサーの顔は伊織達より厚着の割に汗一つかいてなかった。
「そう言うだろうと思ったわよ、ウォーミングアップはとっくに済んでるわ。後は本番を待つばかりよ」
「それは重畳。楽しみだね」
伊織の言葉を聞いてプロデューサーは満足そうに頷いた。
「アンタ、指示はちゃんと出せるんでしょうね?私たち任せとか言ったら承知しないわよ」
チラリとプロデューサーを見やると彼は思い出したかの様にポンと手を叩いた。
「そうそう、それを話そうと思ってたんだ」
それを聞いて伊織はおでこを押さえた。
「ホントに緊張感が無いわね…」
「まぁそう言わずにさ、とりあえず説明するから聞いててね。第一審査は―」
「あらあら、負け癖の付いたユニットはっけーん」
プロデューサーが口を開こうとした時、聞きなれない女性の声が言葉を遮った。
伊織とプロデューサーが声のした方を向くとそこにはアイドルとおぼしき3人組が立っていた。
「マイナーなディアマインがここで何をしているのかしらねぇ」
堂々と嫌味を述べる女性は見下す様な視線で伊織達を眺めていた。
「私達に何か用なの?」
伊織が喧嘩腰で言い放つ。
「別に、あなた達に用なんてないけどね」
「どちら様で?」
プロデューサーが言うと雪歩が小さく耳打ちした。
「魔王エンジェルって言うユニットです」
「ふ〜ん」
伊織と魔王エンジェルの一人が火花を散らしているのを他所に感心無さげにプロデューサーが鼻を鳴らした。
「まさかオーディションを受けに来たとは言わないわよね?」
フフッと鼻で笑いながら女性は話しだした。
「そのまさかよ、何かいけないことでもある訳?」
伊織が負けじと言い放つ。
「そうなの、じゃあライバル一つ消えたわね」
「なんですってぇ!もう一度言って見なさいよっ!」
伊織は今にも食って掛かりそうな姿勢で睨みつけていた。
「言葉通りの意味よ。あなた達になんて負ける訳が無いって言ったの」
伊織の反応を楽しんでいるかの様に女性はクスクスと含み笑いをした。
「いっちょ前にプロデューサーっぽいのまで着けちゃって」
そう言って女性はチラリとプロデューサーを一瞥した。
「あなたもなんの取柄も無いこの子達のプロデューサーの真似事なんてやめてさっさと転職でも考えなさい」
そう言い残すように女性はクルリと踵を返した。
「ちょっとまち―」
「聞き捨てならないな」
伊織が言うと同時にプロデューサーがそう声を上げた。
「えっ?」
伊織、雪歩、やよいが驚いてプロデューサーの顔を見上げる。
魔王エンジェルの一人も再びプロデューサーに向き直った。
「今の言葉、訂正して貰いたいな」
「あら、本当の事を言ったまでじゃない」
「それ、本気で言ってるのかい?」
「勿論」
女性は当たり前の様にそう返事をした。
「そうか。可哀相な人なんだね」
ボソリと呟く様にプロデューサーが言う。
「なんですって」
「可哀相だなって言ったんだよ。確かプロデューサー兼任じゃなかったかな?魔王エンジェルは」
「そうね、私が兼任してるわね」
「あーぁ、見る目が無いプロデューサーがアイドル兼任かぁ。他の二人も可哀相に」
プロデューサーの言葉に魔王エンジェルの二人が顔を見合わせた。
「どう言う事かしら?」
「伊織、雪歩、やよい。この3人の取柄を見抜けないないんじゃ訂正させる必要も無いかな。分からないんじゃ仕方が無い」
プロデューサーが言うと少しの沈黙が流れた。
魔王エンジェルと対峙しているディアマイン一同の様子を周りのユニットも息を飲んで見守っていた。
不意に女性の笑い声が沈黙を破った。
「フッ、フフフフッ…。バカにしてくれるじゃない…」
女性の声は怒りの所為か明らかに震えていた。
「いいわ、そこまで言うなら今日のオーディションで見せてもらおうじゃない!その取柄と」
女性は伊織を見た。
「その取柄を見つけた才能とやらをね!」
次いでプロデューサーの顔を見据える。
「フン。まぁせいぜい頑張りなさい。終わってから吠え面かかないようにね」
そう言うと女性は再び踵を返した。
「あぁ、ちょっと」
慌ててプロデューサーが3人を呼び止める。
女性は今度は振り向かなかった。
「一つ言い忘れてたよ」
「…何か?」
女性の言葉を聞いた瞬間、プロデューサーの口端がクイッと上がったのを伊織は見逃さなかった。
「まぁせいぜい頑張ってよ。終わってから吠え面かかないようにね」
プロデューサーが言い終えると女性は肩を震わせながら二人を連れて振り返らずに去って行った。
「ふぅ、すさまじきものとはこのことだね。さてとさっきの続きだけど―」
「クッ!」
プロデューサーが振り返ると同時に伊織が吹き出した。
「アハハハハッ!」
「ん?」
「最後のあいつの後姿ったら無かったわね!」
不思議そうに見つめるプロデューサーを他所に伊織はお腹を抱えて笑っていた。
「一時はどうなる事かと思いましたよぉ」
雪歩がほっと胸を撫で下ろす。
「でも、魔王エンジェルに勝てるんでしょうか?」
やよいがプロデューサーの顔を見上げた。
「確かに…最近テレビで良く見かけます。審査員を買収しているって噂が流れる位出るオーディション全てで1位を取ってるとか…」
「ちょっと、心配です…」
「あら、平気よ」
不安そうな顔をしている二人に伊織はそう答えた。
「え?」
「私達にはプロデューサーが着いてるじゃない」
「それは、そうだけど…」
「あそこまで言うからには勝つ自信はあるんでしょ?」
「いや、無いよ」
プロデューサーはにべもなくそう答えた。
「…」
「だから言ったじゃないか僕は僕に出来る事をするだけだって」
「やっぱり私も心配だわ…」
「とりあえず説明するよ?」
プロデューサーを含めた4人が作戦会議の為に誰に言われるでもなく顔を向き合わせた。
「今回のオーディションは特別枠採用に伴ってルールも例年の祭典と違う事は知ってるよね?」
プロデューサーが確認をするとやよいが元気良く答えた。
「えっと、今までのは審査は1回限りで途中経過を知る事が出来ないんですよね?」
やよいの答えにプロデューサーが満足そうに頷く。
「その通り。だけど今回の祭典は9回のアピールポイント3回審査で途中経過も知る事が出来る。他のオーディションと同じだから」
全員が頷くのを見終えてからプロデューサーは続けた。
「作戦と言う作戦は無いけど取り敢えず1次審査は様子を見る為にボーカル、ダンス、ビジュアルを均等にアピって行こう」
「その後はどうすればいいんでしょうか?」
「指示に従って貰いたい。むしろこれが今回の作戦」
雪歩の問いにプロデューサーは言い切った。
「つまり、アンタに従えって事ね」
「簡単に言えばね」
「その作戦を聞く限りでは今までのプロデューサーと変わらないわよ?」
棘のある口調で伊織が言う。
「それはそうだよ、皆そう言うさ。伊織達を活かす為にはね」
「何だか含みのある言い方じゃない」
「僕は勿論、伊織達もフルに活かすつもりだよ。でも…」
「でも何よ」
「伊織達を活かしてもディアマインが生きないんじゃ意味が無いよね」
プロデューサーの言葉に今度は全員が首を傾げた。
「あの!私難しい事はあまり…」
やよいが申し訳無さそうに頭を抱える。
「難しく考えないでいいよ、オーディションに勝てなきゃ意味が無いって事だよ」
そう言ってプロデューサーは優しく微笑んだ。
「自信は無いのによくそう言う台詞が出るわね」
呆れた様に伊織が言う。
「ま、いいわ。今回はアンタに任せるわ、初めてだし。ただし―」
そう言うとすっくと立ち上がり小悪魔的な表情を浮かべた。
「魔王エンジェルに負ける様な事があれば代えてもらうからね!」
その言葉は明らかに「負けたらクビ」と言う<死刑宣告>だった。
「頑張ってみるよ」
あいも変わらずプロデューサーはさらりと伊織の言葉をすり抜けた。
掴み所の無いプロデューサーの言葉に伊織は今までに無い不安と同時に期待を感じずには居られなかった。
「まったく…」
「まぁ、期待しててよ」
プロデューサーの言葉に伊織はヒヤリとした。
知らず知らずの内にプロデューサーに期待している自分にこの時初めて気付き顔を紅く染めた。
「期待なんかしてないわよ!」
「はいはい」
返事をしながらプロデューサーが立ち上がると不意に会場の方から声が掛かった。
「お待たせしました。それでは審査をオーディションを開始しますので会場の方にお集まり下さい」
「おっと、始まるね」
「うぅ…緊張しますぅ…」
大舞台のオーディションともあって雪歩の不安げな声はいつも以上に泣きそうになっていた。
「大丈夫かな…うーん」
少しの間考える様にプロデューサーは眉を潜めるとポンと手を打った。
そしておもむろに伊織達の前に立ちはだかった。
「?」
プロデューサーの不可思議な行動を3人は不思議そうに見つめていた。
「ちょっとやってみたかったんだよね」
プロデューサーは何だか嬉しそうな表情を浮かべている。
「は?」
「さ、いいよ」
そう言うとプロデューサーは右手を顔の位置まで挙げた。
「何してんのよ、アイツ…」
理解出来ないプロデューサーの言動と行動に伊織が不安そうに雪歩に声を掛ける。
「さ、さぁ…」
他のユニット達も先程魔王エンジェルと派手に問答を交わしたプロデューサーの奇抜な行動をさりげなく見守っていた。
少し間が空いたにも関わらずプロデューサーは周囲の視線を気にする事も無く相変わらずの表情で右手を挙げている。
「ちょ、ちょっとやよい!アイツどうにか―」
羞恥心で真っ赤に顔を染めた伊織が堪らずやよいに声を掛ける。
しかし、助けを求めた先のやよいもまた嬉しそうな表情を浮かべていた事に気付いて伊織は続ける事が出来なかった。
「ちょ、ちょっと。やよい?」
「伊織ちゃん、やらないの!?」
「はぁ?」
やよいの言動すらもおかしい事に伊織は声を荒げた。
「じゃあ私行ってくるね」
「ちょっと!」
伊織が話す間もなくやよいはプロデューサーの前まで駆けて行った。
「プロデューサー!私、今日めちゃくちゃ頑張りますね!」
「うん!頑張っておいで」
「うっうー!ハイターッチ!」
少し高めのプロデューサーの手を目掛けてやよいは小さくジャンプして右手を重ねた。
パチン
と勢いよく手を叩いた音が控え室に鳴り響く。
やよいはその勢いのまま会場に消えていった。
「そう言うこと…恥ずかしいったら無いわね」
伊織が言うと雪歩もまた嬉しそうにプロデューサーの前まで駆けて行った。
「ちょっとアンタもなの!」
「私も…真剣に頑張ってきます!」
「うん、一緒に頑張ろう!」
雪歩の手がパンと控えめに音を立てた。
「うぅ…何よこのやらなきゃいけないような雰囲気は…」
伊織の視線の先には未だ嬉しそうにプロデューサーが右手を挙げている。
「きぃーーーーーーっ!ホント、ムカつくわっ!」
そう言いながら伊織はつかつかとプロデューサーの前まで歩いていった。
「負けたら承知しないんだからっ!」
「解ってるよ」
「フン!少しは気を使いなさいよね!」
「ん?」
プロデューサーが声を上げると同時に伊織は小さくジャンプして思い切り自分の右手を振りかぶった。
バチーーーン
と言う大きな音が木霊する。
「いてててっ」
プロデューサーは嬉しそうに右手をさすりながら声をあげた。
振り向く事も無く伊織は会場へと消えて行った。
「さてと、頑張ってみますかね」
伊織の背中を見送ったプロデューサーは深く息を吸うとゆっくりと吐き出しそして静かに目を開いた。